2012年3月31日 (土)

瓦礫の受け入れに反対をしてください。~福島の母親たちより~

『絆』と言う言葉のオブラートに包み
汚染ガレキを日本全国に拡散させようとする動きが始まっています。

西日本に住む皆さんはピンと来ない方も多いと思います。
放射能に汚染されたかもしれない、食品や水を毎日、口にしなければならない不安

国や各自治体までもが、正確な情報を隠蔽したり
数ヶ月も経ってから情報を公開するようなことがまかり通っている現在
一個人で出来る限り、被曝を減らし「子供たちを守りたい」
そう思うのは母親として当然のことです。


以下、福島県内に留まっている母親たちからの祈るような思いです。


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瓦礫の受け入れに反対をしてください。~福島の母親たちより~
http://maeveherb.jugem.jp/?eid=107外部リンク


『今年は復興元年』

『瓦礫の処理が進まないことが復興を妨げている』


北九州へ避難した友人ばかりではなく

各地へ避難した母親たちが、瓦礫の問題で苦悩の日々を過ごしています。

避難しても尚、気の休まる暇がないばかりか

地元の住民の方々との意識の違いで孤独感を抱え

福島にいて散々苦労してきたことを、また繰り返さなければならない彼女たちの現状を思うと

胸が締め付けられる思いでいっぱいになります。


難しい分析や見解などは専門家の方にお任せ致します。


瓦礫の受け入れをすることによって

その後起こりうるであろう暮らしの変化や

放射能と共に暮らすということがどんな心情を伴うかということを

母親の立場で書かせて頂きたいと思います。



1年という月日の中で学んだことはたくさんあります。


本当のことは後から分かるということ。

細心の注意を払わないということは自ら被曝を受け入れることと同じだということ。


目を光らせていなければ、いろんなことはどんどんなし崩しになっていきます。


1年が経ったから大丈夫なんだという、なんとなくの流れが私たちの周りを囲んでいます。


何事もなかったということにしたいという思いが見え隠れし


原発事故って、こんなに軽いものなのだったの?と、あまりの終わった感でいっぱいの空気に脱力感でいっぱいになります。


私たちの悲しみに目を向けて、同情をして、分かち合いをして下さるのなら

瓦礫を受け入れるのではなく

どうか、私たちの変わってしまった日常に目を向けて下さい。


季節ごとの楽しみは悲しみに変わりました。

これらはもう元には戻りません。


子どもたちに『さわっちゃダメよ!毒だよ!』と自然を敵のように言わなければならないことはとても悲しいことです。

大好きなお花摘みもできなくなりました。

草の上を転がりながら遊ぶ子どもたちの様子を、目を細めながら眺める日々は戻っては来ません。


震災以降、私たちは『心穏やかに過ごす』という精神を失ってしまいました。

目の前にあるものは被曝の原因となるものかもしれず

子どもの行為ひとつひとつが危険を伴う行為かも知れない

そんな中で心穏やかにいるということは、とても難しいことです。


神経質な母親だからではありません。


それは、自分が子どもの成長に責任がある存在だということを、強く意識すればこそのことです。

私たちを、ひとくくりにしないでください。

不安定さは認めますが、意味もなく不安に駆られているわけではありません。

ここにとどまったとしても、できる限りの安全を確保したい

それを日常の中で持続させ続けることは大変なことです。

心の休息を取らなければ、まいってしまうというのが正直なところです。

しかし、現状はといえば

震災以降、安全を確保するために努力をしている人たちは

県外の安心と思われる食材を取り寄せ、水も購入し、使い捨てのマスクも常にストックし

休みの日はなるべく遠くへ出かけ


被曝がどれほどのものだったのだろうかと実費で検査をし

その出費をムダ遣いだと夫に叱られながらも

何度も検査を続ける母親の気持は悲しみでいっぱいです。


家計は見事に火の車

そのためには今まで以上に家計を切り詰め、働かなくてはなりません。

心の余裕どころか経済的な余裕すらなくなってしまい

それが心の窮屈さに繋がってしまっていることも事実です。


常に何かに追い詰められているような日々


学校からのお便りが届くたびに出るため息・・・

『ああ、なんだか原発事故なんてなかったかのよう・・・。放射能に注意を払うような内容なんてどこにも見当たらない・・・』

教育の現場が、できる限りの策を常に考えて、子どもたちを全力で守ってくれるであろうという

私たちの予想は見事に外れたというショック・・・

このショックはいまだに癒えていません。

当たり前に戻そうとする勢いに、不安を抱く母親の疲れは更に膨らんでいくのです。

それを共有できている人は幸せなほうです。

未だに一人ぼっちで悩みを抱えながらいる母親に

私は会いたいと思うのですが

それもなかなかできていないかもしれません。


安心の度合いは人それぞれなので押し付けることはできません。

こんな教育委員会の言葉に、私は首をかしげます。

押しつけではなく、共通認識として、大人が子どもを守るという姿勢を見せるのが教育現場としてのあるべき姿なのではないでしょうか?


教育現場とのやり取りで、どれだけの母親たちが傷付いて涙を流していることでしょう・・・

先日、子どもたちを放射能から守る全国ネットワーク主催のサミットに出席した際に

『子どもの人権』という言葉を目にしました。

とても大きく心が反応しました。

守られるべき子どもの人権が守られていないという現状。

まだまだ埋もれていますが

各現場での対応がどうであったのか

取り上げれば大問題になるであろう事例は山ほどあります。

私自身、震災以降、各家庭の線量を測定しながら、各教育現場がどんな対応をしているのかを聞き取りしてきましたが

耳を疑うような話は本当にたくさんあり

母親たちの涙をたくさん見てきました。

そんなことが許されるのかと、本当に悔しさを噛みしめてきました。


みなさんに、私たちのような思いをしてほしくはありません。


私たちの現状を知って下さい。

毎日毎日が、今までとはまるで違ってしまいました。


この空虚な思いは、なかなか伝わらないでしょうが

ほんの少しでもイメージをしてみて下さい。


分断という言葉をよく耳にしますが

意識の違いが生み出す分断は想像以上のものです。


放射能に敏感でいるということが、イコール、こそこそと身を守るという

なんともおかしなことになっているのです。


私自身は堂々としているつもりではありますが

風評被害という言葉がここに存在する以上は

ほとんどの人たちはNOという言葉を上げられないのです。


今までは有難いお付き合いであったことが今はそうではない・・・

頂き物をどうするかという、気まずい話もよく聞きます。


例えば、収穫の秋、自宅で採れた柿で干し柿を作るということは

本当に素晴らしい伝統的な食の楽しみであって

歓声を上げながら柿を取って

縁側に腰をおろして家族総出で皮を剥いて

干し柿作りをする光景などは、今までならほのぼのとした秋の風物詩でした。


放射線量が高い福島市。私の実家でも、例年通りに干し柿を作りました。

それが届いた時の気持ち・・・


柿の線量は高いということは食品測定所のデータで知っていました。

干している場所も高濃度汚染地域です。


親であっても意識は異なり

説明しても通じることばかりではありません。


これを食べるか食べないか


こんなことがずっと続いています。

これはごくごく小さな、ほんの一例にすぎません。

とにかく今までとは、全てが違うのです。




これ以上汚染を広めることはしてはいけません。


どうか瓦礫の受け入れにはNO!と言って下さい。


真実は後から知っては遅いのです。


私たちの悲しみを無駄にしないでください。



失ってから気づくことの多さに

私たちは途方に暮れています。

痛み分けなど、私たちは望んではいません。

同じ思いをしてほしくはないのです。


防ごうと思えば防げることを

どうか積極的に考えて頂きたいのです。


汚染された後に、どんなことになるのか

具体的なことはあまり伝わっていないのでイメージができない

遠方から届くそんな言葉を受けて

ごくごく日常にある、私たちの暮らしや思いを、ここに書かせて頂きました。


これをお伝えすることは、私の友人たちも望んでいることです。


子どもを守るために苦労している、福島の母親たちからの祈るような思いが

少しでも伝わりますように・・・。

        

...........

以上転載

目に見えない傍にある驚異、いくら声だかに叫んでも責任を取ろうとしない東電、原子力ムラ、経済産業省、そして政権と行政。

全てが同じ穴のムジナ、タヌキと化かし合いをして国民不在の舵取り...

こんな連中が日本をおかしくしてしまっていると言っても過言ではないだろう。

そして瓦礫、どんなきれい事を言っても利権がまとわりつく、復興財政という甘い蜜に群がる輩達。

そいつらは人間の顔をしているが...

瓦礫の中には有害物質と比べものにならないほどの危険な因子を含んでいる物もある訳なのに...

何故平気で拡散してしまうのか?。

復興という名を借りた悪行隠しに感じてしまう私は、やはり変わり者なのかな?

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2011年5月29日 (日)

海の汚染の考え方と問題点

海の汚染が難しくなってきました。 

「難しい」というのは、魚や海藻が食べられなくなるという意味ではなく、人類が初めて体験する「海の汚染」というものが、かなり複雑な様相を見せそうだということです。 

陸に降り注いだ放射性物質もややこしいものですが、それでも畑に降った「粒」は次第に地中深く下がっていくだけですし、そこに植えたホウレンソウも足がないので「歩きません」. 

でも、海は、 

「海流が激しく、魚が泳ぐ」 

という二つの動きがあり、さらに 

「深さ」 

もあるので、なかなか考えるのが難しいのです. 

それに加えて、「東電の妨害」があります。 

東電はすでに福島原発から漏れた水の分析を終わっていると思います.その水は原子炉の中を通ってきていますので、蒸発しやすい核種(軽い元素か化合物)も、沈殿しているもの(重い元素や化合物)も両方を含んでいると思います. 

具体的に言えば、ヨウ素、セシウム、ストロンチウム、プルトニウムは含んでいるのは間違いない。あまり期待していないが、国民の健康のため発表を求める必要があります。 

「海を分析する」より「東電から何が漏れたか」が判る方が正確に事実を把握できるからです。 

・・・・・・・・・ 

海に漏れた元素はヨウ素、セシウム、ストロンチウムが主で、ヨウ素は海藻に、セシウムは中型から大型の魚の肉に、ストロンチウムは小魚にたまり、それが人間の体に入り、ヨウ素は甲状腺、セシウムはいろいろなところ、ストロンチウムは骨に入るでしょう. 

今のところ、福島から千葉以外の海は強く汚れていることはありませんが、今後の動きに注意しなければならないと思います。 

私は年齢的にもそれほど注意しなければならないことはないのですが、小型の魚は避けるようにしています. 

・・・・・・・・・ 

ところで、問題は「地産地消」や「風評」のかけ声で生協やスーパーが全国に運んでいる汚染された食材、検査を拒否したお茶の葉、瓦礫、それに魚、海藻が「ゴミ」として捨てられ、それが「焼却炉」で焼かれると、その煙のなかには移動した分の放射性物質がそのまま出てきます. 

放射性物質のやっかいなことは「煮ても焼いても、無くならない」ということです。「なにかを使って放射性物質を除く」というのは、「無くなる」のではなく、「別の場所に移す」ということです。 

もっとも問題になるのは、「海水にでたプルトニウムが、魚に取り込まれ、それを調理したり、食べた人が残りを生ゴミに出し、焼却した場合」です。 

プルトニウムは胃に入ると、人間は消化器からは取り込みませんから危険は少ないのですが、プルトニウムの微粒子が肺に入ると肺ガンになります. 

つまり、プルトニウム問題は魚を食べることより、たとえば魚を裁いたり食べたりした残りを生ゴミに出し、それを自治体が焼却すると、プルトニウムの微粒子が自治体の焼却炉の煙突からでて、肺に入ると言うルートです. 

これはかなり問題になるでしょう. 

まだ、環境省はもちろん、各自治体も「放射性物質で汚染されたものを移動する」ということがどのような影響を与えるか、ほとんど考えてはいません。 

彼らは、縦割り行政の中で、日本人の健康とは関係なく、自分たちの仕事だけが片づけばよいというどうにもならない考えだからです. 

・・・・・・・・・ 

海の問題のもう一つやっかいなものは、「ストロンチウムやプルトニウムは測定に時間がかかるので、魚が腐った後、測定値がでる」ということです。 

お寿司屋さんなどはどうなるのかと心配です. 

海が汚れてきて、魚から放射性物質がでるようになると、「刺身や寿司」はすべて冷凍の魚を使わざるを得ないでしょう.つまり、検査結果が出てきてから食べるしかないからです. 

福島原発のことで、日本の食の伝統が守れなくなるかも知れません. 

・・・・・・・・・ 

海の汚染は、イカナゴから始まり、今は藻類がもっとも汚染されているようです。これから6月になると中型の魚、7月は大型と順次、移ってきます。 

魚や海藻、貝は日本の食生活の中心をなすものです。東電がデータを出すのはもちろん、政府の機関は全力をあげて魚の放射性物質の測定をして、確実なデータを早く提供して欲しいと思います. 

(平成23529日 午前9時 執筆) 

武田邦彦

まるまる転載です。

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2011年5月26日 (木)

国を失った日本人(2) 空中分解した国、子供を被曝させる

(C) 2007 武田邦彦 (中部大学)さんのブログより転載

ある読者の方から、厚生労働省の「お母さん向けパンフレット」を送っていただきました。 

このパンフレットは、厚生労働省が多額の税金を使って大量に配布したもので、データは一切、書いてありませんが「放射線は安全だ、基準を守れば赤ちゃんは安全だ」を繰り返しています。 

厚生労働省の中にはお医者さんもたくさんおられ、国民の健康を守るために、「健康ニッポン」などの大がかりなキャンペーンを展開しているのに、実に不思議です. 

福島原発の事故が起こってから国は、 

1)   外部からの線量の限度を、1年1ミリから1年20ミリにした(内部はわずか2%の査定)、 

2)   水の限度を10ベクレルから300ベクレルにした、 

3)   食材は魚を含めて急遽決めて、コメも含めて約500ベクレル(キログラムあたり)(魚は2000,コメ500、野菜300など)、 

から、少し前のブログに書いたように、 

「国を信用して、基準値を守る生活をすると、子供の被曝は1年に50ミリシーベルトになる」 

というきわめて過酷な状態になるのです. 

でも、このパンフレットのように、厚生労働省はそのデータを示さず、「基準を守れば赤ちゃんを守ることができる」と言っています(悪魔の言葉ではないか?). 

本当に国は、1年20ミリとか50ミリで良い、「法律を守っている」と思っているのでしょうか? 

・・・・・・・・・ 

実は違うのです。 

5月25日、「国」の原子力保安院は、「被曝について法律違反をした」という理由で東電を厳重注意処分にしました。 

その理由は、 

(1)第2原発で4月21日まで管理区域の設定基準を超える線量が測定されながら、線量管理をしなかった、 

(2)放射線業務従事者でない女性5人が、放射線管理の必要な区域で勤務し、うち2人が一般の線量限度である年1ミリシーベルトを超えて被ばくした、 

ということです。 

そして、 

「保安院は、作業員全員が携行できる線量計の確保や、通常時と同様に3カ月に1回内部被ばくの評価ができるよう機器を早期に整備することなど、7項目の改善策を東電に指示した。 

 第1原発では地震発生直後から女性計19人が作業に従事。女性の放射線業務従事者について国が定めた被ばく線量の限度「3カ月で5ミリシーベルト」を2人が超えるなど、放射線管理の不備が判明していた。」 

と伝えています。 

・・・・・・・・・ 

私たちは国を失いました.税金は払わなくて良いでしょう.そのぐらいの常識は、訴訟になったときに裁判官も理解すると思います. 

その理由、 

1)   【文科省】 外部被曝だけで1年20ミリまでOK。 

2)   【厚労省】 食材も入れて1年50ミリまでOK 

3)   【経産省】 1年1ミリを越えると厳重注意 

一体、これは何でしょうか? 

完全な国の空中分解です。 

・・・・・・・・・ 

このほか、保安院は「日本国の法律」に基づいて、次のように東電に注意をしています. 

1)   一般人の基準が1年1ミリということを忘れたのか! 

2)   職業人の被曝は1年20ミリ(3ヶ月で5ミリ)ということを忘れたのか! 

3)   職業人が働く管理区域では、線量計の携帯、内部被曝の管理が必要だと言うことを忘れたのか! 

もちろん、日本では法律は一つですから、福島県や自治体は、 

1)   一般人(それも子供)を1年1ミリ以上被曝させている、 

2)   管理区域の人に線量計も内部被曝の管理もしていない、 

3)   それが現実なら、法律を守る立場から、除染に全力を挙げなければならないのに、限度を上げて被曝させている、 

また、練馬区役所(ホームページは改正されたようです)、松戸市などは、「1年100ミリまで大丈夫です」と言い、法律違反をしています. 

ある真面目な地方公務員から私に「1年1ミリという法律を教えてください」と依頼が来ました。とても正直で真面目な人なので、この質問は良いのですが、やはり法治国家ですから、国が空中分解していても、公務員は法律を守って欲しいものです。 

でも、もう国は無い! 自分で行こう! 

(平成23526日 午前11時 執筆) 

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武田邦彦

以上転載

国が法律違反してどうするの?(笑)

 

  

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国を失った日本人(1) 海の汚染、はじまったか?

転載記事です。

(C) 2007 武田邦彦 (中部大学) さんのブログから転載

(平成23526日 午前9時 執筆)

「食べる人が安心して買うことができるように、自分たちの手で測定してください。「自分の仕事より子供達の命」という日本人としての誠意を持って」

海の人に呼びかけたいと思います.

具体的には、三陸沖、北海道、四国沖、九州沖、沖縄、日本海の海産物を選んでください。

ということです。

基準値は「それだけが汚染されている」という基準だから、「足し算」をしなければならない時には、基準値を10分の1にしなければならないから、すでに100倍ぐらいもあり得る、

海藻の汚染が早く、魚(中型が今から、大型が7月からと予想していましたが)の汚染が少し早まる可能性があること、

この汚染がどのぐらい拡がっているかが判らないこと、

海ではストロンチウム、プルトニウムが問題だが、まだデータが無いこと、

今回は、データ自身のつじつまは合っていますが、外国の環境団体のもので、信頼性がまだ十分ではないこと、

そのほかにもいくつか、問題点があります。

夏に向かって、魚の汚染が進み、貝、海藻の心配が増えます.また釣り、潮干狩り、サーフィン、海水浴のシーズンになりますが、国を失った民は当面、データがでないから諦めなければならないでしょう。

私たちは、国を失いました。自分で行きます! 

・・・・・・・・・

日本の海の関係機関や学者はデータを持っているのか、それを隠しているのか判りませんが、多くの人たち、お母さん方が「海は大丈夫かしら」と心配していることが判らないのでしょうか?

そして、また今、海洋国家日本が食材の中心となっている魚の汚染データを外国から得なければならなかったのです.

・・・・・・・

今まで、真面目な日本、誠意のある日本、シッカリした役所などを信頼していた私。江戸時代から明治にかけての日本がヨーロッパより優れた文化を持っていたと書き続けてきた自分.

哀しい・・・

日本人が自分の命を守るために、日本の気象庁ではなく、ドイツの気象庁までデータをとりに行かなければならない。それも100年に1度もない気象上の緊急事態なのに・・・

3月下旬、私が風の情報をドイツ気象庁、ノルウェー、それにイギリスから得ていたとき、本当に哀しくなりました。

福島原発の事故が起こった直後、日本人にとってもっとも大切な情報は「風向き」でしたが、気象庁は「俺の任務はIAEAに報告するだけ。日本に国民がいるとは思わない。勝手に被曝しろ!」と言って応じず、原発から北西の人たちが被曝しました。

・・・・・・・・・

また、勿来港のシラス(5月9日)は、ヨウ素は低いのですが、セシウムは2.2倍含まれていました。

おそらく海藻の表面か、海水から直接、吸収したものと思われます.

また四倉港のコンブ(5月5日)はヨウ素が50倍、セシウムが4倍で、海草類に汚染が拡がっていることを示しています(ベルギー原子力研究センター測定).

それによると、5月5日に江名港での測定では、アカモク(海藻)から放射性ヨウ素が基準値の60倍、セシウムが3倍でした(フランス環境団体測定)

ある出版社が、「外国」の環境団体が測定したデータを送ってくれました。

武田邦彦

以上転載

これを読んでどのように感じるか?あなた次第ですよ。

逃げるに逃げられず(笑)、毎日被爆量は増えてゆく

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2010年12月26日 (日)

命がけで戦わなければならない!。

グラさんの記事3連発。

私よりも遙かにアクセス数の多いブログなので、すでに読まれている方も居るとは思いますが

                 

命がけで戦わなきゃいけない!(動画)http://blog.livedoor.jp/nanakailua/archives/51111548.html

                     

犬と交渉するhttp://blog.livedoor.jp/nanakailua/archives/51113143.html

                        

体罰なしでしつけは出来ないhttp://blog.livedoor.jp/nanakailua/archives/51113568.html

                             

読んでみてね~~

最近いろいろな飼い主と話をする機会が(問題行動で)多い。

まあ愛護推進員をしているから、色々な方法でアクセスしてくるのですが。

我が家では何故か以前から、噛み犬と吠え犬の相談が多い。

プラス散歩の引っ張りかな?

散歩でガンガンに引く子を観て、たいしたこと無いですね(笑)と言うと、今まで何処で観てもらっても、その時は治るのに家に帰ってきてしばらくすると元に戻るか、もっと悪くなる!と。

その場で3Mリード&ハーネスを装着、散歩のはじめは確かに引く!。

が、落ち着きのシグナルを出し、出させを繰り返すと....

トカゲの様な歩き方から、犬に進化する(笑)

呼び戻しと飼い主の側が楽しい場所と認識させるのにそれ程時間は掛からない。

殆どの方が犬と格闘しているのです、まさに命がけ!で。

ある方は相談に来る前に足を骨折、保健所に連れて行こうか悩んだそうです。

他の方は中型犬に引っ張られ、池の中にダイブ、犬は池の畔で心配そうに.....

                  

               

しかし未だに体罰を主流にしている訓練士さんが居ることも驚きです、服従訓練でも最近は体罰を用いないと聞いたのに!。

まあそれでもストレスシグナル出っぱなしで、わんこが可哀想になる場面は沢山あるのですが....

もう少し若かったら(ハッキリ言ってロートルです)そんな訓練をしなくとも、使役犬を育てられることを証明したいな~~。

主従関係が無ければ犬を育てられない!と言う理論もものすごい言い訳に聞こえるのは私だけだろうか?、少なくとも今のぶんたの家では主従関係のあるわんこは居ない。

まあ居候はいるけどもね、(ダイ!おまえだよ早くいかんかい

                    

                  

                         

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2010年10月 6日 (水)

犬の習性にかなった飼い方って?

またまた転載m(__)m....

グラさんの過去記事から。

以下転載。

「犬の習性にかなった飼い方をしましょう」

どのしつけ本にもこう書いてあるし、動物愛護法にもそう規定されている。

だが、「犬の習性にかなった飼い方」って何だろう。

どうもその理解がバラバラだったりするのだ。

そこでいまいちど、犬の習性という側面から、考えてみたい。

1.社会的接触を必要とする。

犬は高度の社会性をもった動物のなので、ヒトやイヌとの社会的接触が必要不可欠である。

毎日長時間(6時間以上)ひとりで留守番させられたり、家の中で家族のメンバーと別の部屋やサークルの中などに閉じ込められたり、また今は少なくなったが外で繋ぎ飼いされたりすると、この社会的接触を満たすことができなくなり、非常に強いフラストレーションを感じる。

われわれ人間も、どこかに閉じ込められると、たとえ短時間でも不安になるし、閉じ込める行為については監禁罪という立派な刑事犯罪が成り立つ。

それぐらいやってはいけないことなのだ。

また、同種の動物との接触も欠かせない。

単頭飼いの場合はとくに、人間のみと接触しがちになるが、人間には人間の友達が必要なように、イヌにはイヌ友達が必要である。

同じくらいの活動性をもった、穏やかでしつけのいいイヌと友達になって交流させ、イヌ社会のマナーを学ぶ機会を作ってあげよう。

2.運動を必要とする。

ゆっくり歩く散歩と共に、早足で歩いたり、走ったり、追いかけたりなどの運動も必要である。

とくに、リードなしでおこなう自由運動が不可欠であるということが、日本ではあまり認知されていないように思う。

一定のペースで長時間走る持久走よりも、高速で走っては休むというようなインターバルトレーニング系の走りが好きな犬が多い。

私自身は一定ペースで長時間走るのが好きだが、運動量が多い保護犬がいても連れていかないし、だいいち他人のペースに合わせて走るというのは、やってみればわかるが、かなりストレスがかかる。

残念ながら、運動といえば自転車での引き運動や、単調なボール投げを思い浮かべるヒトが多いが、犬には勝手に走り回れる自由運動こそが必要だ。

走りたくなければ歩けばいいし、ゆっくり休んでもいい。

こうやってオフリードで自由にしているときに、犬同士交流することで、社会性を発達させることができる。

犬同士のコミュニケーション手段としてのカーミングシグナルは、オフリードの犬でよく観察されることが、このことを物語っている。

3.マーキング、吠えなどによってコミュニケーションをとる。

犬は匂いによる情報交換をおこなうが、その際に自分の尿や糞を利用する。

排尿の際には、片足を上げて行う犬が多数派である。

これを道路が汚れるからという理由で、外で排尿をさせるなという圧力もある。

だが、外での排尿は犬の重要な社交の手段なのだ。

なわばり行動でもある。

また、自分の住み家を汚さないという習性にもかなった行動である。

そこで、ヒトには臭わず犬にだけ臭うという妥協点を目指して、排泄後には水をかける、住宅地ではなく広い草地を散歩させるなどの配慮をするといいだろう。

逆に室内トイレは、習性の変更を迫るだけに、教えようと思えばそれなりに根気が必要である。

この習慣は、日本では広く行われているが、ヨーロッパでは排泄は屋外でするものなので、室内トイレは売っていない。

犬にとっては屋外トイレが自然であるのは当たり前で、人の都合のみを押し付けるのではなく、犬の都合も考えてあげよう。

吠えは犬ならではのコミュニケーション手段なので、全面禁止すべきものではない。

だが、些細な刺激で吠えたり、いつまでも吠えたりするのは、オーバーストレスのサインである。

4.穴を掘る

これも習性によるものだが、その理由については諸説ある。

庭があったら穴掘りスペースを確保してあげるといいだろう。

ただし、やたら穴堀するというのはストレスサインなので、その場合は飼育環境をチェックしよう。

5.動くものを追いかける。

これは遊びに取り入れてあげるといい。

小型犬では猫じゃらしが人気だ。

その一方で、追いかけてはいけないものをには、「まって」を教えよう。

6.泥のなかで転げまわる

気持ちがいいだろうことは想像がつくが、やらせている飼い主はそう多くない。

私はボニちゃんにはやらせてあげて(ルルはそもそもこんなことはしない)、川で水浴びしてよしとする。

洗うのが大変だが、たまにはやらせてあげると喜ぶだろう。

そのほか、番外編として、寄りかかるのが好きというのもある。

狭くて暗いところが好きだとよく言われているが、家庭犬では広々した明るい場所を好む犬もけっこういるので、一概には言えない気がする。

だが、ヒトやクッションのふち、ソファのアームなどに寄りかかるのはみんな好きだ。

狭くて暗いクレート状のものを好むのはむしろ猫で、箱やキャリーなどはことごとく猫に占領されている。

さてみなさんは、「習性にかなった飼い方」をしているだろうか。

以上転載。

さて皆さんどうでしょうか?......

           

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2010年10月 4日 (月)

しつけに不精は....

またまたまた(笑)ずる....

ドッグウオーカー博士のスローライフから。

以下転載。

最近、このブログの読者さんから、書かれていることを参考に対処したらうまくいったというメールやコメントをいただくことが多くなってきた。

私としては大変光栄なことである。

厳しくしなくても、リーダーにならなくても、犬の気持ちに寄り添って自由を認めてあげながら、困った行動が減っていけば、こんなにうれしいことはない。

飼い主さん自身でそれができるというのも重要なことだ。

特殊な技能を持った人でなければできないようなやり方では、広まっていかないからである。

今日のセミナーに来てくださった読者の方からも、聞き分けがよくなった、落ち着いたなどといううれしいフィードバックをいただいた。

犬の自由を拘束しないということについては、こんな発言をされた方がいた。

迎えたばかりの犬が先住犬と折り合いが悪いので、夜はサークルに入れて、自分もその前で寝ていた。

噛みつきがあったのだが、サークルから出して寝るようになったとたんに噛み付きがなくなったと。

こういう証言は、セミナーで必ず出てくる。

犬舎ではなく、家庭で暮らしている犬を家族から隔離することが、いかに大きなストレッサーになっていることか。

サークル閉じ込めをやめるだけで、犬の精神状態がぐっと落ち着くのである。

それは犬が高い社会性をもった動物であることと無縁ではない。

だが、犬ほど社会性が高くない猫でも、ヒト家族と離れた場所で飼育するとかなりのストレス行動を見せるようになる。

この方は違うが、トイレができないから、留守番中に危険だからなどというヒトの都合を通そうとすると、安易な道具に頼りたくなる。

トイレができないのはしつけていないからである。

室内に危険物があるのは、部屋を犬仕様にしていないからである。

こういう対処を怠って、不精なことをしようとすると、犬に無用なストレスをかけて、かえって手間がかかる面倒な事態になる。

散歩の時に引っ張るのは、引っ張らないで歩く地道なトレーニングをしないからである。

便利だから、すぐに引っ張りが直るからという理由で、チョークやハーフチョークを使ったり、あるいは「犬にやさしい」といううたい文句を真に受けて、ハルティやジェントルリーダー、イージーウォークハーネスなどの便利な道具を使うと、犬を傷つけたり不快な思いをさせることになる。

体に不快な刺激を与えて引っ張りをなおそうとするのは、すべて罰を使った方法である。

犬にやさしいをうたった商品は、それが罰であるとは書いていない。

だが、引っ張ったら顔がぐっと横向きになったり、胸のところが締まったりするという嫌悪刺激が加わることによって、そのときには引張りという行動がなくなるのであるから、これは「正の罰」である。

こうした便利な道具は、犬に自発的に好ましい行動をするように教えるものではないため、道具なしでは引っ張らずに歩けない、ということになりやすい。

でなければ、長年チョークチェーンをつけ続ける犬などいないはずである。

リードがはずれたとたんにめちゃくちゃに歩いたり走り去ったりするようでは、「しつけた」とは言えない。

リードなしでも自発的に飼い主と一緒に歩き、飼い主の動向に注意を払うことができる、という状態になって初めて「しつけた」と言えるのである。

そしてそれはそんなに難しいことではない。

だが、不精をせずに、地道に犬との関係を築く努力なくしてはできないことである。

こうしたしつけは、犬をヒトの思うままに操るためにするのではなくて、犬が何かと制約が多い不自由なヒト社会で、犬らしさを最大限発揮しつつ、楽しく暮らせるようにするために必要なことである。

便利な道具にたよったり、不精したりしていたのでは、それはできない。

自分の犬をハッピーわんこにするために、飼い主はちょっと努力をしてあげたい。

そうすると、自分もハッピーになれるのである。


以上転載。

今までの日本式わんこの飼育方法が、いかにわんこの常識から外れているか.....

実はかく言う私もなのだが、ゲージ(クレート)飼育を行っている。

が一日の大半を過ごさせてはいない、食事の時以外は殆どの子がフリーなのだ。

中にはフリーに出来ない子もいる、問題を矯正するまでの間、有る程度の時間我慢して貰わないと我が家は修羅場と化する....

                        

しつけ(おしつけ!になってはいけない)は日々の積み重ね、自分に厳しくわんこに優しく(わんこ目線でね)である。

そしてもう一つ。

以下転載。

どっちが良い子?

ほとんどの犬の飼い主は、うちの犬は「いい子」である、あるいはそうあってほしいと思っているだろう。

私もうちのルルやボニちゃんはいい子だと思っている。

だが、人によって「いい子」の内容は違う。

飼い主を観察していると、人の言うことを聞く犬=いい子という図式が見えてならない。

飼い主のことを「ご主人」と呼んでしまう人はいまだに多く、そのご主人様の言いつけをよく守るのがいい子なのである。

これでは主人と僕ではないか。

どうも私はこういう言い方を聞くと、「封建的主従関係」という言葉を思い浮かべてしまう。

命令に忠実に従う犬が「忠犬」として称えられたのは、国民が臣民(僕)だった時代の話だろう。

国民が市民(政治的主体)になってもなお、犬だけはヒトの僕にとどまらなければならないのだろうか。

次の動画を見てほしい。

アメリカのトレーナーが行っている防衛・服従訓練の様子である。

チョークチェーンをつけられたピットブルが、命令に従って動いている。

時々リードが引かれて首に力が加わっているが、痛みに強い犬だけに動じない。

だが、ボディランゲージをよく見てみよう。



顔を背けたり、お辞儀したり、舌をペロッとしたりなど多くのストレスシグナルを出している。

ハンドラーの指示には従っているが、楽しそうに見えるだろうか。

ご褒美のつもりで撫でているシーンでは顔を背けている。

これは撫でる事がご褒美になっていないということを意味する。

大きな声での命令口調での指示と、大げさな身振り。

こんなふうにしなければ言うことを聞いてもらえないのだろうか…。

あまり愉快でない動画で終わるのは気分がよくないので、口直しに楽しい動画を見てもらおう。

先日紹介したドイツのトレーニングスクールのもので、ここはレスキューした犬のトレーニングもやっている。

今回の動画は、子どもが子犬をトレーニングしているところだ。

この子どもがまた上手で、犬の頭を撫でたりなどの犬が嫌がるようなことはせずに、上手に指示を出している。

もちろん大声をだしたりなどしない。

子どもでも、そして相手がトレーニング初体験の子犬でも、楽しくうまくできるという証拠の動画だ。



力ずくなことは何もやっていない。

オスワリしたり、飛びつきをやめたりなどの良い行動をしたら、すかさずおやつをあげている。

最初の動画のトレーナーよりも、この子の方が犬の扱いがうまい。

犬がストレスシグナルを出していないどころか、尻尾をブンブン振ってついていっているのがその証拠である。

とても自然に好ましい行動を強化しているので、無理なく学習できヒトとの絆も深まる。

「リーダーにならなければいけない」という意識で、こういうトレーニングができるだろうか。

最初の動画が、言うことを聞く犬を作るトレーニングだとすると、後の動画はヒトのコンパニオン(仲間)を作るトレーニングである。

皆さんは、どちらが好みだろうか。

そして、どっちの犬がいい子だと思うだろうか?

以上転載。

ピットブルなどの闘犬種、ある意味この様に育てないと言うことをきかないと思いこんでいる人が大半ではないだろうか?。

以前この犬種でEggiさんと話し合ったことがある、当時今の様な訓練方法では無かったために、彼女の言った!ピットブルといえどもたかが犬!されど犬なのよ!と.....

私にはこの意味が当時理解できなかった。

私の常識とEggiさんの常識がかけ離れていたためなのだが.....

最近、日本で放映されたTVの中のピットブル、実はウイーンでの取り組みを放映した物だったのですが。

特定犬種(指定された犬種&そのMix)を飼う場合免許が必要になってその飼い主が連れていたのがピットブル。

私の常識の範囲外(爆).....

飼い主や廻りを観る柔らかい目線、ストレスシグナルは皆無と言って良いかも。

今まででは観ることはない。

日本や、旧態依然とした今までの訓練方法では、まずあのような笑顔の子は出来ないだろう。

それで居てあの自信に満ちたた!たずまい、なかなかである。

飼い主さんが頑張った賜物である。

           

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2010年10月 2日 (土)

それぞれの動物愛護のかたち2010 イベントレポート(1)

またまたずるして転載です

「それぞれの動物愛護のカタチ 2010」イベントレポート (1)

はリンクしてありますので読んでください。

京子アルシャーさんが来日して講演してくれたんですね。

行きたかった~~(無理!同じ日に愛護センターでのイベントに参加)

レポートを読んでも内容の濃い物だったようですね、しかし...会いたかったな~~、ドイツまで行けないしな~~(チョー!ボンビーな物で).....

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2010年9月27日 (月)

犬と暮らす喜び

またまた手抜き!と言わないでね。

最近グラさんの記事私の言いたいことをいっぱい書いてあるのでね....

以下転載。

>近所のペットショップに、脚の具合が悪い2ヵ月半のゴールデンの赤ちゃんがいるとの知らせを受けたので、見に行ってきた。

D8eb83dc いったん買われていったのだが、しばらく歩かせると前脚がグンニャリするということで、「返品」されたらしい。

繁殖屋からショップに来たときには、ひどい下痢と栄養不良だったので、「くる病」ではないかと診断されたと店員は言う。

だが、先天性疾患の可能性も大いにあるだろう。

ショップは脚の様子を見て、里親募集するかもしれないということだった。

このケースのように、「繁殖屋から来たときには栄養不良」だとか、「寄生虫だらけだった」などという話は非常に多い。

栄養管理も衛生管理もできていないところで繁殖された犬は、当然ながらヒトや犬、新規なものへの社会化などなされているはずがない

真面目なブリーダーのところなら行われているような管理が、何もなされていないのである。

さらに、無理な繁殖によって、様々な先天性疾患を持っており、それが飼われていった先で発覚するということは珍しくない。

小型犬は水頭症や軟口蓋過長、パテラなどは当たり前、大型犬は股関節形成不全は当たり前である。


このゴールデンのように「返品」される犬も多いだろうが、ショップにいる間に病気が発覚して、そのまま繁殖屋に返されて殺処分されたり、ルルのようにショップで殺処分を待つ身になる犬もいる。

病気がなくても、売れ残ってしまう犬もいる。

そして、山に放棄されたり、少しずつ保健所に持ち込まれたりしたものが、時々発覚して新聞をにぎわすのだ。

犬猫をショップで飼うというのは、こうしたシステムの一翼を担うことである

このことに気づいたら、ショップで飼うヒトも少しは減るのではないだろうか。

不幸な犬猫が商品として生産され、そして廃棄されていくという非人道的なシステムを、みんなの力でなくしていきたいと思うのである。


ゴールデンの赤ちゃんを見て、沈んだ気分で帰宅したら、友人から本が届いていた。

エリザベス・M.トーマス『犬たちの隠された生活』(1995年)である。

本が何よりも好きなので、つい手にとって見てしまうのだが、食事をしながら眺めていると、思わず引き込まれてしまった。

それは著者の夫の愛犬についてのエピソードである。

ある夏の暑い日、夫がコーン入りのアイスを買って食べていた。
犬がじっとアイスを見ているので、夫はコーンを差し出した。
すると犬は一口でアイスを食べてしまわずに、コーンのアイスをほんの少しだけ舐め取った。
夫がもう一口舐めてコーンを差し出すと、犬はまた少し舐める。
こうして順番に舐めた後、コーンのふちまで来た。
夫がコーンを一口かじる。
すると犬は唇をめくり上げて、小さな門歯で端っこを少しだけかじった。
こうやってかわるがわるかじったのち、最後に小さな先端が残った。
すると犬は夫にそれを譲った。

なんと心温まる情景だろう。

この犬と著者の夫は、8年間にわたって信頼と互恵の絆を作ってきたそうである。

だがそれにしても、なかなかこうはいかないだろう。

なぜこの犬は、少量の食べ物を分け合うというような、「犬らしくない」ことができたのだろうか。

著者は次のように説明する。

どちらも相手に対して不当な要求はせず、相手を下に見たり、自分が主人顔をしたりすることもなく、たいがいはそれぞれ相手のいる前で、自分のしたいことをしてきた。

こういう条件のもとでこそ(当事者双方がたがいに対等であると考えている、こうした環境のもとでこそ)かかる情景が生み出されうる。

自ら考えて行動する犬、過剰な訓練によって自発性をつぶされていない犬、行動の指針として、自らの観察力と想像力に頼ることのできる犬、そういう犬だけが、共有の一形態として相互にひとつのものを食べあう、そういったきわめて人間的な作法を理解しうるのである」。

こうした関係こそ、まさに私が目指すものである。

どっちが上とか下とか、リーダーだとか、そんなことに囚われるのではなくて、それぞれが独立した人格として対等な関係を築く。

そこに、お互いへの尊重が生じるのだ。

やたら命令したり、管理されたりしていない犬は、自分で判断し、自分でふさわしい行動を選択する

そういう犬が見せる想像力や感情は、訓練でがんじがらめにされた、過度にしつけのいい犬が見せるのよりも、はるかに豊かであると著者は記している。

まったくその通りであると思う。

自分の頭で考える感情豊かな犬とのふれあいは、こんなに楽しいものはない。

昨日、動物病院が休みだったため、散歩に行けなかったボニちゃん(ラブMIX♀7歳)は、今日私が行くと全身で喜びを表現していた。

うれしさが体からあふれ出すという感じである。

雨で増水した川っぷちを走り回り、知り合いのボーダーくんを見つけて飛んでいって挨拶する。

2回ほどボーダーくんの前でご挨拶のジャンプをすると、動きを止めて私の方を見て、うれしそうにすっ飛んで帰って来た。

わざわざ呼び戻さなくても、ヒトの雰囲気を見て自分で判断して帰ってくるのである。

危険物を回避するために呼び戻したりすると、「どれだけ早く戻れるかゲーム」を自分でやっているかのように、全速力で走ってくる。

おやつは持って行ってないので、食べ物目当てではない。

自分でそうしたいからやっているのである。

こうした心からの信頼関係を築いてこそ、犬と暮らす喜びを堪能することができると思う。

以上転載、ただし加筆あり...

友人の山本氏の元にやってくる多くの問題犬。

私の所も余り変わらないが、多くは飼い主の接し方に問題が有る場合が多い。

まあ保護犬の場合はまた別問題ではありますが、新しい家族がどう接するかでその子の犬生が大きく変わります。

この記事を良く読んで考えて欲しいな。

そしてもう一つの記事。

                  

以下転載。

呼び戻しが上手く行かないワケ!

非常に多く寄せられる質問に、「呼び戻しがうまくいかないんですが、どうしたらいいんでしょう」というものがある。

定番中の定番だ。

その関連として、「おやつを持っていないと呼んでも来ない」、「おやつを食べたら走り去ってヨーヨーになってしまいます」というのもある。

あまりにも多いので、その原因を考えてみたい。

まず第一に考えられるのが、環境的要因だ。

犬の気が散りやすい環境、すなわち他の犬がいる、騒々しい音がする、交通量が多い、子どもが走り回るなどといった状況では犬は興奮してしまい、飼い主に集中できなくなる。

犬のカーミングシグナルに注意してみよう。

舌をペロペロしたり、何度もお辞儀したり、体をブルブル振るったりしていないだろうか?

これらはストレスシグナルである。

練習は、刺激の少ない環境からはじめ、徐々に刺激が多い状況に移行していこう。

ただし、散歩は静かでのんびりした場所で行うのが基本であるから、無理に人ごみを歩かせたりせずに、できるかぎり迂回して散歩の質をキープしたい。

どうもこういうことを犬に無理強いしたがるヒトが多いが、一方的にヒトの都合に合わさせるのではなくて、犬の都合を尊重してあげよう。

第二に学習的要因である。

呼び戻し合図と飼い主のそばに行くという行動が十分に関連づけられていない場合には、犬は呼ばれても来たり来なかったりする。

そういう場合は、一つ前のステップに戻って、短い距離で合図→おやつ、合図→おやつを繰り返し練習してみよう。

呼ばれて行ったら、「なんですぐ来ないの、もう」などと怒られたという経験をすると、呼び戻し合図が嫌なことの前触れになってしまい、なかなかやってこなくなる。

これは、合図が正の罰になってしまっているということであり、こういうケースが非常に多い。

呼び戻しの後には常にいいこと(ご褒美)が起こるようにしよう。

ヒトだって、怒られるとわかっている所には行きたくないだろう。

外に出たらおやつを受け付けない犬の場合は、室内で練習する。

おやつがないと呼んでも来ない場合は、おやつの出し方に原因がある。

犬は、飼い主の合図ではなく、おやつの存在を合図に戻ってきているのである。

これを飼い主の合図がしっかりとキューとして認識されるように変えていく。

最初から見せている場合、犬は「あ、おやつだ!さあ行こう」だが、それを「あ、合図だ!さあ行こう」にするのである。

そのためには、おやつを見せてそれで「釣る」=ルアーとしてのおやつの使い方をやめる必要がある。

おやつは常にポケットかポーチの中に入れておき、いつそれが出てくるかは犬にはわからないようにする

おいでの合図をして、すぐに来た時だけおやつをあげる。

そのときに、犬が完全に自分のそばまで来たときに初めてポケットやポーチからおやつを出してあげる。

それまでは手をポーチのほうにやったり、ゴソゴソしたりなどしない。

呼んでもすぐに来なかったときには、「いいこ」などの合図だけにして、おやつはあげない。

さらに段階的におやつを出すハードルを上げていくにより、おやつを抜いていくのである。

いつまでもおやつを出し続けるのではなくて、なるべく早く抜いて行くように、「すごくよくできたらルール」に切り替えていくと、解決するだろう。

おやつをもらったらすぐに駆け出してヨーヨーになってしまう場合、おやつを出すタイミングを少しずらしてみよう。

犬がそばに戻って来たときにおやつを出すのではなく、一緒に一歩前に歩き出したときにおやつを出す。

そして次の一歩を出したときにまたおやつを出し、方向を変えてついてきたらまたおやつ。

それでもヨーヨーになる場合には、メンテナンスを行ったほうがいい。

いちばん最初の散歩トレーニングに戻って、舌打ち合図→おやつを繰り返しながら移動し、合図→方向転換→おやつで、ヒトの動きに集中してついて歩く練習をする

動画はこちら

だんだんおやつを出す間隔を長くして、方向転換を何度かしてからおやつというふうにしていく。

第三に技術的要因

まだ練習を始めたばかりなのに、やたら遠くから呼んでいないだろうか。

最初は至近距離から呼ぶところから始める。

また、犬に自分の体の真正面を向けて、手を広げて「さあおいで」などとやっていないだろうか。

これは対面でコミュニケーションするヒトのマナーであって、犬にとってはマナー違反だ。

犬に対して少し斜めになり、ちょっと顔を背けてあげるだけで、犬の負担がずっと軽くなって来やすくなる。

嫌そうな顔をしてノロノロやってくる場合には、叱ったり小言を言ったり、犬の様子におかまいなく何度もしつこく練習するなどの正の罰を与えていないか、自己点検してみよう。

「○○ちゃん、おいで~、おいで~、おいでったらもう」などと、わかりにくい合図を出しているケースもある。

合図ははっきり、きっぱり一度だけを徹底したい。

その意味でも舌打ちは適している。

呼び戻し合図を出すタイミングが悪い場合もある。

犬は匂いかぎに没頭しているときに、自分の世界に入り込んでしまって我を忘れることもあるので、そういう時は、一瞬集中が途切れて頭を上げたその瞬間に合図を出す。

犬は現在、今この瞬間に生きる動物である。

やたら呼び戻したり、いつでも絶対服従を要求したりなどしないで、今犬にとって大事なことにも敬意を払ってあげよう

そうすると犬は、いつでも笑顔で喜んで戻ってきてくれるようになる。

              

以上転載

少しは解って貰えたでしょうか?。

信頼関係を構築しなければわんこは側には来ない!、なのです。

楽しい、そして犬に取って安全な場所、それは飼い主さんの側。

そうでなければわんこは戻ってこないでしょう。

              

今までの自分の行動を振り返ってみましょう。

                  

 

 

         

               

      

なんか自分なりにずるしている感じもなきにしもあらず

グラさん有り難うございますm(__)m。

          

 

 

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2010年9月25日 (土)

良いとこさがしをしよう!

またまた転載記事(笑)ずるしてるなんて言わないでお付き合い下さいm(__)m

             

ドッグウォーカー博士のスローライフ より転載。

発達障害児の支援に関する本を読んでいたら、こんなことが書いていた。

できないときに注意をするのが日本の伝統的な子育てである。

年相応にできて当たり前、できないときに注意すれば自然に覚えていくものという意識が強くあるという。

だから、できて当たり前のことができても褒められない。

逆にできて当然のことができないと、「何やってるの」「ダメでしょ」と叱りつけるのが一般的な対応である。

発達障害があったりすると、できて当然のことができないため、叱られることが多くなり、自己評価が低下したり、トラウマが形成されたりすることになる。

この傾向に「人並み」意識の強さが拍車をかけているとわたしは思う。

人並みでないと子育てが失敗したと思われるから、自分の子どもが人並みにできないと焦る。

その親の焦りが、子どもをよりいっそう窮地に追い込む。

それに対し、私が3年間留学していたイタリアはまさに個性の国で、個性的であることが最大限尊重されていた。

日本のように集団行動は要求されないし(学校の行事などにもない)、彼らにそんなことはできないだろう。

みんなと同じであることは、日本では美徳だが、イタリアでは欠点である。

ひとりひとりは違って当然なのだから、そのいいところを褒めてあげましょうと。

犬育てもそうであると、のびのびとしたいい犬になると思う。

私自身は「個性的な」とか「変わっている」などというのはむしろいい意味でとらえているので、ルル(ヨーキー♀5歳)が障害を持っていたり、怖がりだったりするのも、大事な個性だと思う。

健常な犬、問題ない生育環境で育った犬にはできないこともたくさんあるが、逆にルルにしかできないこともある。

たとえば、犬に初めて会う猫や、怖がりの犬とあわせても、相手を怖がらせることがない。

高齢者や障害のある子どもと仲良くする。

私のグルーミングをしてくれる。

研究会に一緒に出席して膝の上で爆睡し、私を落ち着かせてくれる。

などである。

できないことや欠点ばかりに目を向けていると、その子の良さがわからなくなってくるだけでなく、自分の力量不足にたいして自己嫌悪が生じる。

そこからできない自分と、できない犬に対する怒りがぐるぐる循環して負の連鎖が起こる。

これは犬(や子ども)にとってだけでなく、飼い主(や親)にとっても決していいことではない。

そんな気分に陥りそうになったら、自分の好きなことをやって気分転換したのち、犬とのかかわり方を全面的に変えてみよう。

犬に何かをさせようとしたり、いけない行動を叱ったりするのではなくて、日常生活における行動の些細な一つ一つのなかの好ましい行動にご褒美をあげてみよう

これを、アクティブ(積極的)トレーニング(Aトレーニング)に対し、パッシブ(消極的)トレーニング(Pトレーニング)という。

くわしくはこちらを参照。

ご褒美というのは、手っ取り早くはおやつだが、その犬が喜ぶことなら何でもいい。

飼い主の注目も、犬が喜んでいればご褒美になりうる。

喜んでいるかどうかは、犬のボディシグナル(とくに口元と尻尾)をよく見て判断する。

口を開けて尻尾を高い位置で小刻みに振っていたら喜んでいる。

飼い主が注目したときに、犬が耳を伏せて尻尾を脚の間に巻き込んでいるようだったら、注目はご褒美にならないどころか罰になる。

人間が忙しくしているときに、おとなしくいい子にしていたらそっとご褒美をあげる。

来客があっても吠えなかったらご褒美。

同居動物と仲良くしていたらご褒美。

このように、いいところに注目していたら、その子がとてもいとおしくなるし、それによって好ましい行動も強化されるので、よい連鎖が生まれる。

犬と飼い主の絆もよりいっそう深まる。

そして気づいたときには、のびのび、生き生きした、愛すべきハッピーわんこになっているのだ。

          

 

 

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