保護活動のきっかけ(^^)
ぶんたの家のブログを書き始めた当時、下記のような記事をアップしている。
まだ今のような理論で犬のトレーニングを行っていない時期、かなり文太にはすまないことをしてしまった。
ましてや最初の頃はトレーニングについては基礎知識のようなものはあったが、いかんせんリーダー論というもので行っていたからね(笑)
医療的な基礎知識は皆無に等しかったころにその子を仕事先の隣の家に見つけた。
飼い主の娘さんはかわいがっていたのだがある日その子は嫁に行ってしまった、代わりに入ってきたのは長男夫婦。
嫁さんは犬が嫌い。
旦那も推して知るべしだな!、その親は無関心。
当然、子供たちは犬が怖い。
私から見たら、非常におとなしく可愛い子だったのだが!!。
いつも仕事をしているときにフェンス越しに訴えるような眼差しを感じていた。
水桶は汚く、残飯のような食事。
真夏でもその水桶はほとんど水がなかったり。
15年の月日が経っていますが昨日のことのように鮮明に思い出せる。
以下転載、2006年8月25日の記事に加筆をしてあります。
犬や猫を保護するきっかけ、それは一頭の飼い犬から始まった!
仕事先の隣で飼われていた、MIXの子は何年の前から見ていたのだが、段々やせ細ってゆき、可愛がられていないことは明白でした。 敷地の奥の片隅で、可愛がってくれた娘さんの帰りをじっと待っている子でした。
その家にきた嫁さんや、子供たちが、犬を嫌い、怖がってしまったための悲劇!
他の家族も無関心であり、食事も満足にはもらえず、段々やせ細っていく様を見るに堪えず、家人にその子の引き取りを申し出たところ、何で?という感じで応対されたが、半ば強制的に連れ帰ってきた!
極度の栄養失調のためと思われる下痢!! のみ、ダニはもちろんだと思うし、フィラリアは当然入って陽性だったろう! 今であれば、すぐに動物病院行きとなったであろうが、まだ当時知識不足、経験不足の私では頭が回らず?数日様子見で置こうと......
結果...翌朝散歩に連れて行こうとして、その場に倒れて、抱き上げた私の腕の中で息を引き取った..........
たった1日だったけれど、彼はうれしくて飛び跳ねて、今までの鬱憤を晴らすかのように!いっぱい甘えて.......
写真も何も残ってはいないけれど、きみの最後の笑顔がかわいかった.....早く生まれ変わっておいで!!!!
しばらくしたある日、仕事先の警備員さんから、子犬が捨てられていて、明日保健所につれて行かなければならない!! と言われ、見に行くと、真っ黒けな?5匹の子犬
〔保健所に連れて行く〕 と言うキーワードは、私にとっていや~な思い出? むかし海岸近くに家を借りていた頃、家の周りには野良犬、野良猫が多くて、(みんな捨てていったんだ!!)保健所に捕獲をお願いしたんだ? 私はてっきり捕獲した後、保護するものと思い込んでいた!!
私の無知のなせる技............
私が、この後落ち込んだのは当然.......
5匹の子を全員助けたいが、家には先住犬がいるし、貸家であるし......一頭でも助けたい!!
小柄な一頭を抱き上げ連れて帰ることにした。
此の後、全員が、警備員さんの努力で里親さんが決まった!!
この子の被毛の柄が、背中で半分にきれいに分かれていたので、 はんぶんた? と我が家の 奥様が? (ちょっと違うような? ま、物腰が奥様風なのでいいか) 名付けた。
で イメージが膨らんで はんぶんた→半分太→半 文 太→文太→菅原文太や、藤原文太(イニシャルDの豆腐屋のおやじ)が頭に浮かんで、ちょっとたくましく生きてほしいと願いをこめた名前にしたんだ!!
おかげで元気に育ち、今や5歳
みんな保護した子たちであるが、今は穏やかに過ごしてくれている。
ハンドルネームの ぶんた はこの子からもらっているのです!本来ならぶんたパパとかするのでしょうが? これでいいのだ~~~~~~
以上転載終わり。
この記事を書いてすでに10年、文太はすでに旅立ち、また多くの子が私の手元から虹の橋を渡っていった。
月日の経つのは早いもの、千葉県の処分数も15年ほど前の約10分の1程度まで減ってきた、それでもまだまだ他の都道府県の中ではトップクラスの処分数。
こんなに早く減るとは思ってはいなかったが、それでも周りも努力している結果だろうね。
ぶんたの家のブログも、今後ぶんたの家が活動していない現状ではあまり書くことが無い(笑)ですが!
| 固定リンク
コメント