2009年 11月11日。
センターの最終部屋。
年老いた2頭の犬。



白い子は、病気のせいか、目が見えないためか、ひたすらぐるぐる、ぐるぐる狭い円を描きながら回っていました。
体の右側がひどく汚れてしまっています。
少し止まったかと思うと、またぐるぐると回り始めます。
もう1頭の子も、心もとない動きを繰返していました。
なぜ、なぜ、ここにいるのだろう。
老犬だから?
病気だから?
じゃ、若かったら、健康だったら、この子たちはここに来させられることはなかったのだろうか。
センタ-に居る子たちを見るたび、いつも感じることは同じ。
あどけない子犬を見れば、かわいい盛りで今から楽しみなのに。。。と思い、
若い成犬を見れば、まだまだこれからなのに。。。と思い、
もっと大人の犬を見れば、落ち着いていて、一緒に穏やかに過ごせるのに。。。と思い、
老犬を見れば、最期の瞬間まで、絶対そばにいてあげたい。。。と思い、
病気や怪我の子を見れば、何とかして治してあげたい、少しでも痛み、苦しみを軽くしてあげたい。。。
そう思います。
何歳だから、こんな状況だからセンターにいる、
そんな事は関係ないはず。
センターにいる羽目になってしまった子たちの 元・飼い主は、
いったい、何をもってここに放置しているのでしょうか。
予定していなかった子犬だから、手放すならまだ慣れないうちのほうがいいだろうし、
若いから、そのやんちゃぶりが手に負えないし、
大人だから、もうかわいくなくなっちゃったし、
老犬だから、面倒を見るのが大変だし、
病気だから、怪我してるから、治療にお金がかかるし構ってられないし。
それに、死ぬとこ見たくないし。
だって、逃げちゃったんだし、
もう嫌なんだし、
もう飼えないんだし、
それにもう必要ないし、
所詮、動物だし。
人間の生活の方が大事じゃないか。
人間が大変なんだから、仕方ないよ。
そんな風に思うのだろうか。
そんな言い訳で、自分を正当化するのだろうか。
いや、そもそも、そんな事すら考えない?
だから、家の子が自分の傍からいなくなっても、
そして、この世からいなくなっても
それでも平気だと言うのだろうか。
万が一でも、少し心がちくりとすることがあったとしても、すぐに忘れてしまう、
そんな程度のものなのだろうか。
確かに、それぞれ、様々な事情があることでしょう。
でも、一時は一緒に生活をし、
何より、この子たちに癒されていた時間もあったのではないでしょうか。
もちろん中には、ただ金儲けのための繁殖の単なる道具、猟の為の単なる道具としてしか見なしていない人もいます。
道具とは、一体どういうことなんですか?
人間が
「 飼ってやってる 」
「 使ってやってる 」
「 生かしてやってる 」
そんなんじゃない。
彼等は、我等人間と同じ、
大切な 大切な “ 命 ” を持っているのです。
命の大切さ わかりませんか?
エヴァは、亡くなりました。
2010年 1月13日に、センターで逢ったポインターの女の子。
彼女も決して若くはありませんでした。
足を負傷し、ガリガリに痩せていました。
おなかのあたりには、腫瘍らしきものもあったようです。
寒く冷たい部屋の中で、彼女は必死に立ち上がってフードの元へ歩いて行きました。
生きようとしていたのです。
生きたかったに違いありません。
でも、食べたいという気持ちはあっても、匂いを嗅ぐだけで、もう体は受け付けなかったのでしょう。
一口も食べられませんでした。
私達に近い、部屋の隅っこに戻り、
こちらを見上げながら訴えかける
彼女のかすれた切ない声が耳から離れません。
彼女がセンターを出て来たら、
今度こそ、私達が精一杯の、それこそありったけの
いつまでも続く愛情を注ごう。
そんな想いで FOEVER (永遠) という言葉から
“ エヴァ ”
と名付けました。
センターで出会い、再会を誓って別れた次の日の朝。
彼女は一人、旅立ってしまいました。
冷えきった体を抱きしめて暖めることも
優しく撫でることも
そして、そっと名前を呼ぶ事も、
何もかも全て出来ませんでした。

センターに居る子の飼い主で、いなくなってしまった子を必死に捜している方もいらっしゃるでしょう。
管轄だけでなく周辺の保健所、警察にも連絡をすること
貼り紙をすることなど、
今、犬を、猫を捜している方たちだけでなく
動物と暮らす人なら、いなくなった彼等を捜す色々な術をしっかりと認識しなくては。
これほど、情報化社会と言われながら、それがうまく機能していない事例がたくさんあるように思います。
一方的に、嫌でも与えられる情報があれば、
自ら得ようとしなければ、なかなかわからない情報もあります。
それどころか、いくら調べても、わからないことだってあるでしょう。
こうして、センターにいる子たちの現状を伝え、発信していくこと。
地道なことでも、私達に出来うることをひとつひとつやっていかなければ。
パソコンを使う環境になくても、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌。
誰かとの会話の中で、ヒントが得られることだってある。
電車の中での、いや、通りすがりの他人の会話からだって、得られるものもあるはず。
ですから、多くの人に今のセンターの様子を知って考えてもらえるようにしなくては。
そして、多くの人の口に、この話が上るようにしなくては。
大勢の人の目に耳に、この事実が届きますように。
そして、何より
人としての真の心に
深く深く届きますように。
桃金